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お帰りなさい遠賀川に!
献鮭祭
121日遠賀川に帰ってきた鮭が奉納されました。

日時  1213日(月)11
場所 嘉麻市 大隈 鮭神社

 

 

 帰ってきた鮭は1213日まで冷凍されて鮭献祭を待っていました。

 

おごそかに祭典が営まれている鮭神社。足白小学校の生徒も参列している。 

 

境内にある鮭塚に遠賀川で発見された鮭をはじめ、全国から贈られてきた10匹の鮭が奉納された。

 

 

 参列された国土交通省遠賀川河川事務所の皆さん

 

国内では珍しい、サケを神様の使いとして祭っている「鮭神社」(嘉麻市大隈)で、12月13日()、氏子や流域住民・水産社関係者が、五穀豊穣や無病息災を祈るとともにその年に遠賀川を遡上してきたサケを奉納する「献鮭祭」が営まれました。

鮭神社は奈良時代(1200年前)に建立され、遠賀川を遡上してきた鮭を神の使いとして、境内にある鮭塚に奉納いたします。今年は遠賀川に帰ってきた鮭が奉納されました。

献鮭祭が終了後、「遠賀川に鮭を呼び戻す会」の大里さんから、サケの発眼卵をいただいた、「遠賀川サケの会」の青木宣人さんは、これから3月菜種梅雨が始まるころまで、ふ化場で大切に育てられます。

「昭和53年に遠賀川で鮭が見つかった時は驚きました。父が鮭神社の氏子代表でそろそろ鮭さまがお戻りになるなんて言っていたんですけど、どうせ古い言い伝えだからと思っていましたし、第一九州には鮭の溯上はない、と習っていましたからね。ただ、鮭献祭で鮭の代わりにダイコンを縦わりにしたものを使っても、千年続いたしきたりだけは守っていきたいという気持ちがありました。それが本当に鮭が見つかったのですから、まわりの人に鮭について聞き始めました。そうすると鮭を運んだといった話がどんどん出てきたんです。」嘉穂(現嘉麻市)大隈で酒造業を営む大里叶さんは鮭が発見された時の思い出をこんな風に話してくださいました。鮭がのぼり、人が憩う遠賀川の明日(遠賀川ものがたり:遠賀川工事事務所50周年記念誌 平成710月発行)より

  鮭が帰ってきた翌年54年、大里さんは「遠賀川に鮭を呼び戻す会」を発足し、活動を始められました。
昭和初期から炭鉱の最盛期の30年代までは中流域から下流域を流れる遠賀川は黒い川と呼ばれていました。しかし、遠賀川上流(大隈)は炭鉱がないため、中・下流とは対照的にきれいな水が流れていました。

その後、炭鉱が閉山となって、中・下流域もきれいな水が流れるようになった遠賀川に鮭が戻ってきました。大里さん達「遠賀川に鮭を呼び戻す会」のみなさんは、忘れかけていた鮭ののぼる遠賀川をよみがえらせようと、鮭の卵を新潟県村上市から分けていただき、関係者と試行錯誤しながら、孵化させることに成功しました。そして3月に苦労して育てた鮭の稚魚を小学生と共に、「大きくなって帰ってきてね。」と声をかけながら川にそっと放流してきました。

鮭の稚魚を放流することで子どもたちは川を汚しちゃいけないというよりも、汚したくなくなるという気持ちを持ってもらいたいと大里さんは願っていました。


その後、鮭の孵化・育成、放流事業は大里さんの思いと共に遠賀川流域の住民によって今日まで受け継がれてきました。

 ※昭和53年、最初に鮭が発見された場所で、現在でも水巻町立水巻小学校の生徒が毎年鮭の稚魚の放流が行われています。