2015年サケの稚魚放流事業へ

犬鳴川で鮭の稚魚を放流しました
原田自治犬鳴会  若宮小学校2年生

サケの稚魚放流冊子    2014年遠賀川にサケが帰ってきました

 34日、宮若市若宮の中心部を流れる犬鳴川、原田地区桜橋の下流の河川敷で、若宮小学校2年生の児童がサケの稚魚を放流しました。

 サケの稚魚放流前にサケの稚魚を12月から育ててきた「遠賀川源流サケの会」の青木会長は、「遠賀川に帰ってくる鮭は神様の使いです。今日放流した鮭の稚魚はこれから自分で餌を見つけて生きていきます。遠賀川を下り海にでます。4年経ったらアラスカから犬鳴川に帰ってくるでしょう。帰ってくることを願って放流してください」と話しました。
 手桶にサケの稚魚を入れてもらった児童たちは、「わー可愛い」と一斉に、目を丸くして見入っていました。サケの会の人から、鮭の稚魚を放流する時の注意点を聞きながら、川岸に並んで一斉に放流しました。児童たちは帰ってきてね、と話しかけながら、桶から泳ぎ始めた稚魚をじっと見ていました。

 「サケの赤ちゃんはとても小さくてかわいかったです。私たちが卒業するころに帰ってくるとうれしいです。寒い中ありがとうございました」と児童の代表からお礼の言葉がありました。
 最後に児童たちはみんなで、「サケの稚魚の放流ができてうれしかったです。4年後に元気に帰って来てほしいです。今日はありがとうございました」と河川敷に響き渡るほどの声でお礼の言葉がありました。

 今回、初めてサケの稚魚放流を試みた「原田自治犬鳴会」のメンバーは、遠賀川(嘉麻市大隈鮭神社)に帰ってきたサケは神様のお使いであること、12月13日に鮭神社で献鮭祭が行われ、お参りし、犬鳴川でも子ども達と共にサケの稚魚を放流し、命の大切さや環境保全について、児童と共に考える契機にしたいと願って、サケの会の青木さんに相談、サケの会では快く受けられ、今日の放流となりました。

 原田自治区の高倉会長は「関係者の皆さんのお蔭で鮭の稚魚放流をすることができました。犬鳴川は大切な私たちの川です。鮭が帰ってこれるようにきれいにしていきましょう。」と話していました。
 原田自治犬鳴会は平成19年に設立、「生かそう 私たちの犬鳴川」をキャッチフレーズに西山山系清流を源流とした犬鳴川流域の防災、清流、親水空間の整備等の啓発を行っています。

 桜橋から栗舟橋までの堤防道路2km強を、市民の散策の場として利用しやすくなるように、道路脇の除草を随時行い、また、作業や散歩時にゆっくりと休めるイスやテーブルを設置した休憩場所をつくるなど、犬鳴川の河川敷をとても大切にしています。雨期前の6月、秋の稲刈り前に河川の堤防の除草作業。隣接する自治会と連絡協調しながら、河川の共同管理と環境整備に努められています。


堤防道路から桜並木がありその中心地に地域の人々が守っている甚内公園があります。

 
 
 
 
高倉原田自治犬鳴会会長のあいさつ 
 
青木遠賀川源流サケの会会長のお話 
 
 
 
 放流するときの注意です。
   
小さなサケの赤ちゃんに見入っています。 
   
   
   
会のメンバーも放流しました。  児童からのお礼の言葉です 
 
児童の代表がお礼の言葉を。 
 
みんなで一斉に大きな声でお礼の言葉を言いました。 
   
泳ぎ始めのサケの稚魚。元気に帰ってきてください。   RKBが取材に、みんな元気よく答えていました。
   
 放流する前に地元の皆さんで河川敷のゴミ拾いが行われた。 水質調査を行いました。きれいな水です。 
   
 児童が川岸に降りやすいように当日は仮設の階段が2カ所設置  

甚内公園

江戸時代、犬鳴川の原田の堤防は、大雨が降るとよく壊れていました。
そこで、大雨にも壊れない堤防をつくることになりました。

昔は、工事の安全を祈って、人柱という生きている人を川に埋める
あやまった風習がありました。
なかなか決まりません。 

原田村の甚内という若者が、村の人々に育ててもらった、
その恩に報いるために、人柱になる決心をしました。
そして川底へと沈んでいきました。

その後、堤防ができ、災害もなく豊作が続いたそうです。
この公園には甚内さんの供養碑が安置されています。
甚内さんは私たちに人の命の尊さを身を持って訴えています。
地域の人々が供養碑を大切に守っていることがわかります。